坪田 篠崎先生、ペイトン・アワードおめでとうございます。僕は授賞式に行けなかったんだけど、スピーチがすごく良かったって。
篠崎 ありがとうございます。1 年間はEBAA*のサイトで聴けるそうなので、よかったら聴いてみてください。
坪田 篠崎先生と僕の出会いは日光の両生類研究所。僕が国立栃木病院にいた時、サンショウウオの角膜に血管が入っているという昔の論文をアメリカで見つけて、おもしろいと思って。それで、日光でサンショウウオを探してもらったんだけど一向に見つからない。そんな時に、サンショウウオの研究者が日光にいるとナースに教えてもらって篠崎先生のところへ。
篠崎 うちの研究所は、サンショウウオのコレクションでは世界一。でも、かたっぱしから角膜を見たけど血管なんて入ってない。おかしいなと思って論文を送ってもらったら、オオサンショウウオだった(笑)。日本のオオサンショウウオは天然記念物だから、触ることすらできない。そうこうするうちに、ひょんなことからオオサンショウウオの目玉が4つも手に入ることになって、坪田先生にすぐ連絡しました。顕微鏡で見ると、確かに角膜に血管が入っていて。1988年にARVO*で発表したんですよね。
島 その時のARVOで、僕は篠崎先生とお会いしてるんです。でも、おもしろい研究をしている研究者だなという印象だったので、後に坪田先生から、「篠崎先生にアイバンクをやってもらうことになったから」と聞いた時はまったく結びつかなくて(笑)。
坪田 僕は90年に市川病院に移って、角膜移植をするためにはアイバンクが必要だと痛感したの。当時はアメリカから角膜を輸入していて、あまりにも手間がかかるので誰かやってくれないかなと。そしたらなんでだか篠崎先生がいいなと思ったんだよね。
篠崎 「アイバンクってどうやって作るの?」と坪田先生に聞いたら……「知っていれば頼まない」(笑)。
坪田 どうして引き受けてくれたんだろうね(笑)。
篠崎 僕は親父から、「人間はわずか100年ぐらいしか生きないんだから、宇宙から見たら地球にくっついてるバイキンみたいなもの。だったら、死んだ時に『ああ、楽しかった』と思える人生にしろ。そして一番楽しいのは、人が喜んでくれることをやることだ」と言われて育ったんです。アイバンクを立ち上げることはまさにそれだったし、それに、坪田先生の顔見たら、子どもみたいに邪心がないんですよね。「僕、この人治したいんだよね」とこの人に言われたら、そりゃそうだよね、と。だから、何のこだわりもなく、「よし、やろう」と思えた。
で、アイバンクを作るには国の許可が必要で、財団を作って国の許可が下りるまでに最低3年かかると聞いたので、当初は3年だけの予定だったんです。日光の研究所を閉めるつもりもなかったですからね。
坪田 まずは千葉県庁通い。あれは長かった。
篠崎 週に何度も行って、何十回も書類を提出しても、最初の2年間はピクリとも動かない。暗中模索でいた時に、坪田先生の先輩で、厚労省の疾病対策課にいらした岩尾先生をご紹介いただいて。お会いしたら、そんな話はこちらには上がってもいないと。でも、許可が出るように頑張るから、千葉県内の調整をきちんとやれと言われて、あとの1 年でようやく許可をいただけた。
折しも脳死臨調が立ち上がった時だったので、お前そのかわりこっち(厚労省)も手伝えと、臓器移植の社会基盤整備の班長をずっとやらされることになったんです。
許斐 厚労省とはそれ以来、篠崎先生が関係を築いてこられた。私が今年から医系交流技官として厚労省に勤務しているのは、そのご縁もあります。
篠崎 許斐先生にはぜひ頑張ってほしい(笑)。それで、許可は下りたんですが、来てみたら紙1 枚。これを渡したところで何も起こらないだろう、しっかりしたモデルにしなければと思い、覚悟を決めました。
*EBAA Eye Bank Association of America、アメリカアイバンク協会
*ARVO The Association for Research in Vision and Ophthalmology、アメリカ最大の眼科学会
|